雨ですが、1週間耐えて待った休みを無為に過ごすわけにはいきません。比較的安全に登れて、山小屋でランチを作るとなると、いつもの氷上山しかありません。 小雨ですが、氷上山に向かいました。山開きだったことは知りませんでしたが、悪天候で中止になったようです。行政主催の山開きと個人山行では中止基準が違いますので、登ることにしました。 中央コースの鳥居から登りました。悪天候時には土砂崩れで孤立する可能性がありますので、山馬越林道からは登らないことにしています。ちなみに森林管理局の人たちの車は山馬越林道にありました(下山時)。 林道わきのツツジは咲いていましたが、登山道わきはつぼみでした。 半月前はまだ萌えていませんでしたが、一気に萌えたようです。 展望所から下界は見えません。 オオカメノキ 祈祷ヶ原もガスがかかっていました。 登奈孝志荘には8時25分に着きました。室温が8度でしたので、薪ストーブに点火しました。朝飯が早かったので、早いランチを作りはじめました。ノンアルコールビールで、いつもの餃子と、今回はたっぷり野菜の焼きそばにしました。小さなフライパンですので苦労しました。 食べ終わったころから、登山者がちらほらとやってきました。地元の人で、やはり山開きを意識してのことのようです。いつもの管理人Kさんと同年配と思われる地元の方が、大船渡側に水芭蕉がないか見に行くというのでついていきました。 以前にはあったそうですが、今はコバイケイソウしかありませんでした。コバイケイソウは鹿に食い荒らされたようです。 ネコノメソウだと教えてくれました。 登奈孝志荘周辺のツツジはまだ小さなつぼみでした。 長老を囲んで、地元の人たちと薪ストーブのまわりでしばし話をしました。登奈孝志荘は以前はもっと荒れていたのを震災後に補修したと言っていました。震災後にもかかわらず、地元の大切な山を維持してくれている人たちには頭が下がります。長老は津波に流されて命からがら助かったそうです。 ネズミだけでなく、蛇も住みついているらしく、梁には蛇の抜け殻が引っかかっているのを教えてくれました。蛇の種類を聞き忘れましたが、夏場に泊まるのは若干不安になりました。 しばらくすると森林管理局の人たち5人がやってきました。何ごとかと思いましたが、一応パトロールとは言っていましたが、新人の登山訓練ではないかという風情でした。 午後からは晴れる予報でしたが、その気配もなく、昼前に山頂を往復してきました。山頂から法螺貝の音が聞こえてきました。山開きで法螺貝を吹くというようなことを聞いていましたので、神事だけでもやるのかと思いましたが、その人はマイ法螺貝で、ただのほら吹きだと言っていました。 森林管理局の新人風情の若い女性がバテバテの様子でした。普段は現場で働く人ではない人が、「この仕事をする以上は山を知っておいたほうがよい」と連れてこられたのではないかと推測しました。 登奈孝志荘に戻って、しばし話をしたあと、12時55分に薪ストーブを消して下山しました。 朝よりは視界があります。 下り道、長老に草木の名前を教えてもらいましたが、とても覚えきれませんでした。 震災後に氷上山に登っては、登奈孝志荘で酒を飲んでいることを不謹慎かなという思いはありましたが、こうして被災した人たちと山で出会うことで、むしろどんどん登って、震災前と同様、あるいはそれ以上に氷上山を盛り立てていくことが自分にできることかと思うようになりました。 |
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